人って、なぜ不幸自慢をしたがるのでしょうか?
「背が高くてつり革とかに当たって困るんだよねー」
「痩せてても良いことないよー」
「この前◯万円で買った服がさー、意外と使いにくくてさー」
もちろん、本当に悩んでいる事もあるかもしれません。
でもどこかしらでドヤ顔をしながら言っている時ってあると思うんです。
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普通は不幸な時って、辛い気持ちが襲って来ますよね。
でも、その不幸を『刺激』と捉えてしまった時。
それを『生きている実感だ』と考えてしまった時。
「不幸でもいいから刺激を得て自分を維持しよう」
と無意識に脳が考えてしまって、
そして「自分が不幸のどん底にいる」という幸福モドキな気持ちが出てきて、あたかも自分はシアワセなんだと騙されてしまうんですよね。
そうなると「私こんなに不幸なんだけど、でもシアワセなの」みたいなよく分からない矛盾した状態になってしまうんですね、きっと。
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そんな心理から生まれた不幸自慢って、多分聞いていてもあまり良い気持ちにはならないと思います。
それはやっぱり『自分が自分が!』っていう裏の心が見えてしまうからなんじゃないでしょうか。
自分の生存本能を満たすために
『自分を見てほしい』という欲望に囚われてしまい、相手のことを考えず自分自分ってなってしまう…。
…でも、こうやって嫌がられるロジックが分かるのに、
私もついついやってしまう事があります。
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結局、人は自分自身が好きで
「嫌い」という気持ちがありながらも、
どこかしらで自分を好きでいる。
だからこそ『自分を見てほしい』という欲望に囚われてしまっているのかもしれないですね。
きっと、同情されたかったり、労ってほしかったり、共感してほしかったり、そして自分を知ってほしかったり。
色んな勝手な『自分知ってほしい』がギュッと詰まっている話をついついしてしまいたくなるんだと思います。
「あー、またやってしまった…」
と思って後悔することも多々あります。
まーた自分の事ばかり話してしまった、
不幸自慢だけじゃなく、とにかく相手にとってつまらない話だっただろうなあって思うような話をしてしまった。
そう思う事は日常的にあって、その度に自分をダメだなって思ってしまいます。
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最近は『念』じるという事が流行る、というか今見直されている傾向にあるみたいです。
私も雑念がありすぎて、さっきみたく本当の自分が見えなくなった時には『瞑想』をしたいなと思ってやった事があります。
でも「雑念消さなきゃ」という雑念がどうしても消えなくて、意識すればするほどに『自分』から逃れられない事になってしまいました。
そんな時は逆に<考えてることから逃れようとするのではなく、その1点に集中させる>と良いみたいです。
考えていると色んな事が頭の中に浮かんで来るかもしれないですが、そっちの意識に浮気をしないで、もともと考えていた1点だけを見つめる。
そうすれば、がんじがらめになっていた思考も、スッとどこかで落ち着くらしいです。
『自分が自分が』と思ってしまっている時は、少し静かな時間を設けてあげて自分自身を見つめ直してみるのがオススメです。
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今の時代はSNS・情報発信も発展していて、むしろSNS・情報サイトありきで生活が回っていると言っても過言ではないと思います。
そうすると、自分の見たくないものも目に入るし、その目に入ってくるスピード感というのもかなり速いと思います。
まだダメージ受けてるのに、更にダメージを受ける情報を見てしまった…なんてざらにあるのではないでしょうか。
ダメージを受けているって気が付いてなくても、ふと「なんか疲れた…」って思ってる時はきっとどこかしらで傷を負ってて、痛みを感じるのが遅かっただけ(蓄積していただけ)なんて事もきっとあると思います。
そういう時には、もう見ることや頑張ることをやめてしまっても良いんじゃないかなって私は思います。
その日だけは何もしない
その時間だけは何も見ない
その瞬間だけは現実逃避する
周りから自分を切り離してみる事で、どこかふと楽になれるんじゃないでしょうか。
シアワセになるために、自分から何かをあえて『やめてみる』
これも一つの勇気ですよね。
レンタル彼女PREMIUM/大森碧