少し前に流行った『ありのまま』という言葉があります。
『ありのまま』の自分で生きることが幸せという意識は多くの人にあると思いますが、実際に『ありのまま』の自分で生きるって、難しいことですよね。
『ありのまま生きたら、嫌われるんじゃないの?』
と、思う人もいるかもしれません。
それはもちろん、他人のことを考えず、自分を中心に『わがまま』に生きていたら嫌われるでしょう。
『ありのまま』と『わがまま』は、ちょっと違うんですね。
『ありのまま』とは、自分自身に嘘をつかずに生きている状態のことです。
自分を曲げて親の意見を受け入れるとか、人の顔色を見て言動を変えるとかは、自分自身に嘘をついていると言えるのではないでしょうか。
先日読んだ本が、とても考えさせられる内容だったので、少し紹介したいと思います。
『安楽死を遂げた日本人』というタイトルで、今後読む人のために、詳しい内容をお話しするのは控えますが、知っていただきたいところをかいつまんでお話します…。
まず、『安楽死』という言葉をご存知でしょうか。
病気や怪我などにより、助かる見込みのない人を、本人の意思で楽に死に至らせること……なのですが、日本では違法となる行為です。
たとえ、治る見込みのない病気を抱えていたとしても、自分で自分の人生に幕を下ろすことはできないのです。
ところが、自分で自分の死に方を決めたいと、行動している女性がいました。
その女性は難病に侵されており、治る見込みがありませんでした。
病のせいで、思考する脳以外の機能は日に日に衰えていき、身体は動かず、話もできず、ただ生きているだけになるのにそう時間がかからないということが、彼女には分かっていました。
自力で呼吸することすら困難になるというのに、思考することはできるため、このまま寝たきりになって、介護する人たちに日々『申し訳ないな』と思いながら「ありがとう」の一言も言えなくなる自分を何度も想像しました。
それ故に、かろうじて体が動く間に、自分自身の手で死を選びたかったのです。
結果的に、彼女は安楽死が容認されている海外で、人生を終えました。
この彼女の行動について、賛否両論あるとは思います。
私も彼女の選んだ結果は衝撃的ではありましたが、科学に頼って生き長らえることよりも、自分が自分でいられるうちに命を終えるということを選択した彼女の気持ちが少し理解できる気がしました。
『死ぬことを選ぶことは、どう生きるか選ぶこと』と言っていたのがとても印象的で、そういう生き方もあるんだなと思わせられました。
死について考えることはタブーに近いものとされてきたので、今まであまり直視したことがなかったのですが、彼女が死ぬことを選択したのに共感をしたのか、何かがストンと胸に落ちてすうっと染みこみました。
きっと、どの選択が正しいと言えるものはないんだと思います。
自ら命を終えても、命の限り生きても、どちらがより良いかなんて誰も決められません。
ただ、本人が納得して、自分の心のままに希望をかなえられたことは、周囲の人たちも安心したことでしょう。
もちろん家族はもっと生きてほしかったと思います。
けれども、家族の生きてほしいという思いで生かせ続けていても、本当にそれで良かったのかと、それはそれでいつまでも自問自答することになりそうです。
そう思うと、本人も家族も死というものと向き合って、それぞれ納得した答えを出せたのではないでしょうか。
自分の死後も家族に悔いを残さない亡くなり方をした彼女は、決して『わがまま』を貫いたのではないと言えます。
とはいえ、上記の彼女のように、自分の意思を貫ける人はそう多くないと思います。
自分のことは自分が一番分からないとはよく言いますが、自分自身と対話しても何も見えてこない場合、多くの人の価値観に触れるのもいいでしょう。
周囲にお話ができそうな人が見あたらない場合は、レンタル彼女でもいいと思います。
レンタル彼女のキャストたちは、それぞれ自分らしい生き方を模索している途中なので、そういうお話相手には最適かもしれません。
楽しそうに見えるお仕事かもしれませんが、決して自分が楽しみたいからやっているわけではありません。
お客様と向き合いながらも、同時に自分自身と向き合うことになることが多いため、楽しそうという気持ちしか持てない人は、なかなか続かなかったりするのです。
自分らしく生きたいと思いつつも何が自分らしいのか分からない方がいましたら、男性だったらレンタル彼女とお話をすること、女性だったらレンタル彼女になってみることも、手段の一つかなと思います。