【彼女をレンタルする時代】やりたいことが特にない

やりたいことや熱中することが特にない。

夢とか聞かれても困る。

自分の将来が不安……。

そんなことを思っている人は、あなただけではありません。

今の世の中、『どう生きていていきたいか』『どうんな人になりたいか』なんて、分からない人の方が多いようです。

 

やりたいことがないのは、恵まれているせいだという説もあります。

着るものにも食べるものにも住むところにも困っていないと、人は闘争本能を失っていき、気力も低下し、目的を失ってしまうのです。

実際、今の日本で過ごしていて、明日を生きることに困るなんて、希なように思います。

飽食の時代に生きているのだから、仕方ないのかもしれませんね。

今回は、その恵まれた時代に生きる人たちの未来を、人一倍憂いていた方を紹介したいと思います。

 

栃木県は足利市というところに、『こころみ学園』という、障害者の施設があります。

園長の川田昇先生は、私と地元が一緒のよしみで生前にお話を聞いたことがありますが、『田舎のおしゃべり好きなおじいちゃん』といった感じの人でした。

独特の訛りに温かみがあって、飾らず気取らずで、サービス精神の旺盛な方でした。

こころみ学園の園生は、10代の若者から高齢者まで共同生活を送っています。

そして、敷地内にある『ココファーム・ワイナリー』というワイン醸造所でワインを造り、そのワインはサミットで各国首脳に振る舞われるために採用されるような上質の物ということで、たちまち有名になりました。

ただし、障害者が作っているから注目を浴びたのではありません。

川田先生は、品質基準を厳しくして、作り手に障害者というハンディを言い訳にさせませんでした。

なぜなら、彼らを『社会のはみ出し者』にしておきたくなかったからです。

川田先生がこころみ学園を設立した当時は特に、障害者は保護をするだけで、ぬるま湯に浸かっているだけだったそうです。

それこそ『異端者』というレッテルを貼られているだけでした。

けれども、“畑を耕すことができて、いいブドウを作り、いいワインができれば、それを売ったお金で最低の生活でも生きていける”という川田先生の信念から、障害者でも自分の力で自立して生きていけるように、園生たちを障害者ではなく、立派な農夫に仕上げたのでした。

なぜワイン造りを選んだのかというと、『ワイナリー』という響きがカッコ良かったからだそうです!

それまで人からバカにされて生きてきた障害者の人たちに、カッコいいと思われるような職を与えてあげることには、大きな意味があったのでした。

 

もともと川田先生は、特殊学級の教員でした。

しかし、障害者を隔離し、保護し、施設で飼い慣らすような教育方針に疑問を持ち、教員を辞めてこころみ学園を作ったのです。

県の補助金をもらうと、『福祉施設なのにワインを造るとは何事だと』問題にされるので、補助は受けずに、先生が個人で持っていた山を開墾することから初めました。

畑作業は石を拾ったり、草を刈ったり、飼料をやったりと難しことはないものの、自然を相手にすると思うようにいかないことばかりで、その試練を堪え忍ぶうちに人と支え合うことの大切さや、やり抜いた時の喜びを知ることができます。

こころみ学園に来る以前は、障害者だからと腫れ物に触るように扱われて死んだような目をしていたり、障害があるからと甘やかされてわがまま放題が当たり前だった人でも、園生になると1週間ほどで自分のやるべきことを見つけ、瞳が輝き出し、他人を思いやれるようにもなるそうです。

どれだけ知的な障害があっても、一緒に作業をしていれば自然と仲間のためになるように考え、行動するようになる。

むしろ、知能が低いからこそ、人を陥れたり自分だけが得をしようなんて考えないそうです。

汗水を垂らして必死で農作業をするうちに、ズルをしないこと、他人を思いやること、人と助け合うこと、必要以上に欲しいと思わないこと……と、本当に大切なことが見えてくるようです。

 

物が溢れる世の中で生きていると、生きていく上で本当に大切なものって見にくくなってしまいます。

人が持っているものを羨ましがったり、自分には人より持っているものが少ないんじゃないかと不安になったり、もっといいものがあるんじゃないかと欲をかいたり、たくさんものがあるからこそネガティブな感情が生まれます。

『持っていない』のではなく、『持っている』からこそより良いものが欲しくなり、たくさんの物の中から自分の気持ちに近いものや、その時その場で必要とされる物を選ぶ。

我々の生活は、ゼロから何かを生み出すのではなく、たくさんの情報の中からベストだと思うものを選択をするということが基本になってしまいました。

物に恵まれた状況の中で、本当に欲しいものは生まれません。

何かに飢えて、苦しい思いをした先に欲しいものは見えてきます。

その欲しいものを自分で勝ち取ってこそ、やりがいを感じるのです。

川田先生の教えに倣うなら、都会から隔離された山で畑仕事をすると、農作物を収穫できるまでにたくさんの苦労を乗り越えることになります。

その過程を経て、収穫の喜びを知ると、一つの物ができ上がることの尊さが身に染みて分かるようになり、自然と次の目的も出来てくるのだそうです。

とはいえ、自分の目的を見つけるために、山を開墾して畑仕事をして、作物を収穫するというのは、ちょっと無理がありますよね。

そこまでしなくても、少し立ち止まって自分の原点を思い返したり、自分の生きてきた道筋をゆっくり振り返ってみてはどうでしょう。

一人では振り返るのが大変だというのであれば、レンタル彼女を話し相手にして、頭の整理をしてみてもいいと思います。

自分のことを考える時間を作ることも大切なことですよ。

これから年末年始に少し時間のできる人もいると思いますが、自分の歩んてきた道を振り返ってみるのもいいかもしれませんね。

そして、よかったら私たちにもお話してくれると嬉しいです。