先日、友人から『長年の友人が趣味がないって相談してきたんだけど、どう答えたらいいのかな』と、相談をされました。
プライベートで会う人や、お客様と接していて、「趣味がない」という人、かなり多いです。
でも、よくよく話を聞いてみると、好きなものの1つや2つ、必ずあったりします。
そして、「それは趣味じゃないの?」と聞くと、「自分より好きな人はたくさんいるから」とか「もっと上手な人がたくさんいるから」というような答えが返ってきます。
これは、100パーセントと言ってもいいです。
友人に聞いてみると「好きなことはあるけど、それについて全て知っているわけじゃないから趣味とは言えない」と答えたそうです。
完璧主義なんでしょうか。
なんか、人生生きにくそうですね……。
趣味なんて、あくまで趣味なんですから、知らないことがあっても当たり前。
外国人なんか、「ありがとう」「おはよう」「さようなら」しか話せなくても、「日本語好き! しゃべれる!」って言います。
日本人の感覚だったら、『その3語しかしゃべれないのはしゃべれるうちに入らないよ』と思うものですが、それと同じようなレベルで大丈夫です。
だって、趣味なんて張り合うものじゃないですからね。
そして、「趣味がない」という人ほど友だちがいなかったりするんです。
なぜって、プライドが邪魔をしてしまって「私は〇〇が好き」って自分をさらけ出せないから、人の興味を引くことができないんですね。
せめて「〇〇が好き」って言えれば、同じものを好きな人と話をするきっかけになるし、自分を中心にして人の輪が広がっていきます。
水面に石を投げた時に広がる、波紋のようなイメージです。
やがて趣味など抜きにして、付き合っていける仲間もできることでしょう。
友人の相談相手もまさにそういう感じだったので、女の子だから『レンタル彼氏』を紹介しておきました。
安易とお思いかもしれませんが、ちゃんと意味があるんです。
人との輪を広げられない人は、子供の頃に人と距離を置いて接していた人が多いのです。
(いじめも含まれます)
人とぶつかりながら適切な距離感を学んでいく時期に、傷つくことが嫌で人との距離を取ってしまっていたりすると、世界がとても狭くなります。
他人の考えに触れることがないから、『こんな風に考える人がいるんだ』とか『私は違う意見だけどいいこと言うな』と、人を受け入れることができなくなってしまいます。
大人になって「子供ね」とか「視野が狭い」と言われる人は、上記のことが原因ではないですか?
他人の価値観に触れれば触れるほど、自分の世界は広くなっていきます。
そして、世界が広くなれば社会での居づらさも薄れていきます。
意識して他人の価値観を知るためには、異性が一番なんです。
だから、人間関係に閉塞感を感じているなら、デートをするだけでも少しは楽になったと思ってもらえるんじゃないでしょうか。
好きなことが分からない人!
これは本当に生きにくそう!
生きていて違和感を感じることはありませんか?
コミュニケーションに不安はありませんか?
独りになると余計なことを考えたりしませんか?
これは、子供の頃に子供でいることが許されなかった人に多く見られます。
たとえば、一番上の兄弟で、お兄ちゃんだからと色んなことを我慢させられ、自分の意思に反して早く大人になってしまった。
親の理想を押し付けられて、親の望んだ学校や職についた。
なんて人は、自分の自我を出さないよう「いい子ね」「偉いね」という言葉で暗示をかけられていて、本当の自分が分からずに大人になってしまいます。
この暗示はかなり強烈で、いい大人になっても一人ではなかなか解けません。
そして、ただデートをするだけでは暗示を解くのは難しいと思うので、思い当たるフシがあるようなら相談してくださいね。