東京に住んでいると、修学旅行生を一年中見かけます。
生徒本人たちはきっと、『修学旅行生だ』なんて思われていることなど知らないでしょうが、一目で分かります。
なぜなら、街にたわむれている子達と違って、スレていないからです。
あか抜けてないとか田舎くさいとかいう表現もありますが、そこには失った物に対する憧れのような感情が含まれている気がします。
お化粧をしていない艶やかな肌や、コシのある黒髪、膝丈より長いスカートや真っ白なソックスに、否応ない清潔感を感じます。
でも、これは大人の勝手なイメージの押し付けでしかないんですよね。
私も数十年前は、大人から微笑まれる側でした。
田舎の学校だったので、前髪は眉毛より上、シューズは真っ白なスニーカー(というより運動靴)、革の鞄は潰してはいけなくて、胸のボタンを開けるなんてもってのほか。
そして、よく分からない校則の一つに、髪は二つで結んではいけないというのもありました。
当時はなんでだろうと不思議に思っていたのですが、今日すれ違った修学旅行生が見事にみんな髪を一つに結んでいたのを見て、長年の疑問がとけました。
なぜだか分かりますか?
一つに結ぶと、清純で潔白に見えるんです。
中学生当時は、一つで縛るなんてダサくて嫌だと思っていたのですが、そこにはこんな大人の思惑が潜んでいたのでした。
けれども、子供が純真なんて、大人の勝手な押し付けです。
私が学生の時は、『もっと若者らしく』『もっと爽やかに』と、未熟さを求められることが少し疑問でした。
反抗するタイプではなかったので、大人が囲った枠から出ないようにしていましたが、それでも時々はみ出ちゃって「子供のくせに」と思われてきたのを思い出します。
それなのに、大人になった今、世間に染まっていないような学生を見て『素朴でいいなぁ』なんて思ってしまうのです。
『失ったものを数えるな』と言いますが、遠目で見て懐かしむくらいならまだいいけれど、自分が出来ない代わりに人に押し付けるような大人にはならないようにしようと思いました。
(これって案外難しいかも……)
◎学生の時の写真を探したけど、案外ないものです……。