最近、時間がある時に家で映画を観るようにしています。
大作とかそういうのではなく、なんとなく以前から気になっていたものや、ラストを忘れてしまったものなんかで、映画の内容が心に深く刻まれたというよりは、記憶の補完です。
今は便利な世の中で、インターネットに繋がっていればダウンロードできるため、DVDを借りることも返すことも必要ないんですね。
そんな仕組みを知ってから、家で映画を観る機会が増えました。
私が生まれ育ったのは、東京都内から車で1時間ちょっとの地方都市です。
ちょっと足を延ばせば、すぐ東京に出られるということもあって、私が子供の頃にはもうレジャー産業はすたれていました(バブルの影響もあるかも)。
今はシネコンがありますが、私の記憶ではしばらく街に映画館はありませんでした。
そのせいなのかしりませんが、中学生になると1年に一度、全校生徒で映画を観るというイベントがありました。
私の通っていた中学校はマンモス校だったこともあって、文化会館が講堂の役割を果たしていたのですが、その文化会館でみんなで映画を観るのです。
何を観たのかははっきり覚えていませんが、毎年少し古めのハリウッド映画でした。
たぶん、スピルバーグ監督の作品だと思うのですが、スケールの大きな娯楽作品は非日常を感じさせてくれる特別なもので、“映画=ちょっと特別なもの”という意識が植え付けられて、今でもその価値観は私の中に残っています。
そんな田舎に住んでいたからこそ、便利な都会に憧れて早く地元を出たくて仕方ありませんでした。
中学生になってからは、買い物はもっぱら原宿になり、地元で何かを買うということはなくなりました。
週末に原宿に通ううちに、友達もできました。
当時、実は東京にワンルームマンションがあったんです。
誰も使っていなくて物置のようでしたが、週末はほとんどそのマンションを根城にして、つかの間の独り暮らしを満喫していました。
高校は隣県に越境入学をしたのですが、それは少しでも東京に近づきたかったからです。
だから、「生まれはどこ?」 と聞かれると、「栃木県」と答えるのですが、地元愛のない子供だったので、あまり地元のことが分からなかったりします……。
(今は地元愛はあると思います)
自分が得られていないものを手に入れる行為って、振り幅でいうとマイナスからゼロにしかなりませんが、マイナスから這い上がってくるパワーって果てしないのです。
芸能界には九州出身者が多いとよく言われていますが、それは九州から東京に行くのに海を越える必要があるせいだと聞いたことがあります。
九州の人にとって東京は陸続きの土地ではないから、簡単には行けません。
それなので、東京への憧れが増すんだそうです。
そして、一度上京したからには地元には戻りたくないという気持ちが強くなるので、『帰ってたまるもんか』という根性で売れるための努力を惜しまないのだとのことです。
だから、成功する人が多いんですね。
それに、そういったネガティブな感情を自分が発奮する材料にできるかどうかは自分次第です。
私は今でこそ自然が好きですが、田舎にいた頃は雑草アレルギーで、土も草もない都会に早く出たくて仕方がありませんでした。
だから、そのネガティブな感情を長いこと抱えていたおかげで、今になって普通じゃない生活を送れているんだなと思っています。
とはいえ、50年も経ったら、『老後はのんびり』なんて言って、あんなに嫌で嫌で仕方なかった田舎に移り住んでいる可能性もありますね。
そんな自分はまだ想像できませんが、インターネットが完全に普及した今、田舎と都会の差はそれほどなくなったんじゃないかと思う今日この頃です。