第一印象は温和で、会話が苦手とは思えない男性でした。
50代も半ばということで、ちょっとお腹も出ていますが、それがぬいぐるみのような可愛らしさを感じさせます。
この方をBさんとしますが、Bさんの悩みは『男女問わず楽しく会話をしたい』とのこと。
そして、できたら『女性の前でも緊張せずにお話ができるようになりたい』という希望がありました。
□コンプレックスから会話が苦手に
どうしてそれほどまでお話にこだわるのかというと、子供の頃から早口で、それを理由にいじめられたことがあるらしく、全くしゃべれない時期があったのだといいます。
今は早口は改善されたのだそうで、私と話していても時々語尾が滑るような時はありますが、そういう人も珍しくはないので、気にするほどではありません。
ただ、Bさんが言うには、早口は治っても、会話が苦手という意識は相変わらず強く、『何かしゃべらなきゃ』と焦ってしまうせいで、場にそぐわない発言をして周囲を困惑させてしまうことがあるようです。
私とお話をしていて、そこまで深刻なもののように感じなかったのですが、悩んでいる本人にはとても大きな問題なのです。
なぜなら、私も会話が苦手という意識があるので、Bさんの気持ちがよく分かります。
私は周囲から指摘されたことはありませんが、たまたま指摘されなかっただけかもしれません。
Bさんと同じように、昔から気になっていることでした。
Bさんの気持ちを考えながら深く話しを聞いているうちに、Bさんの本当の希望は、いじめられていた中学時代を乗り越えることだと気付きました。
もちろん誰とでも楽しく会話ができるようになりたいというのも嘘ではないのですが、テクニック的なものよりメンタル的なものの問題の方が大きいのです。
今はしゃべれるようになったけれど、過去のいじめの記憶のせいでしゃべれないという意識が強く、それほど親しくない相手を前にすると緊張からおかしなことを口走ってしまうのでした。
それが分かると、私とBさんは過去を楽しいものへと塗り替えるために『聖地巡礼』を始めました。
いじめの思い出を上書きするためだから、『聖地』ではなく、『暗黒地巡礼』かもしれません。
幸いBさんの地元が都内近郊だったため、Bさんの嫌な思い出のある土地を、時間をかけて回りました。
もちろんデートなのですが、行く場所にはデートスポットらしいものは何もなく、『いじめっ子から隠れていた遊具』や『よく考えごとをしていた河原』になります。
そんなネガティブな思い出のあった場所でお菓子を食べたり花火をしたり花見をしたりして、一つ一つを楽しいものへと塗り替えていきました。
月に一度のペースで2年以上はかかったかもしれません。
最後のほうはピクニックに行くように、Bさんも過去の嫌な思い出のある場所へ行くのを楽しんでいました。
□過去を上書きするデート
嫌な過去がだんだん楽しいものに塗り替えられるたびに、Bさんも気持ちが楽になっていったようです。
Bさんの心に巣くっていた問題が解決すると、Bさんに余裕が生まれたのか、語尾が滑るようなことも本当にわずかになりました。
また、おかしな発言をしてしまうというのは完全に治ったわけではありませんが、Bさん自身がそれほど気にしなくなりました。
おかしな発言は自意識過剰が原因でもあるので、Bさんが気にしなければ、そんなことは誰にもあるような、とるに足らない問題だったのです。
ちょうど転職をしたBさんは、新しい職場の中では『ちょっと変わった人』という評価を受けていて、Bさんもそのポジションが気に入ったようでした。
自分で自分のことを受け入れることができたBさんは、そうして卒業していきました。
□いじめの後遺症は大人になっても消えない
いじめの経験というのは、長いこと後遺症が残ります。
いじめに遭うと自分で自分を嫌いになったり、自分を価値のないものと思ってしまったりするので、自分自身がそんな自分を受け入れない限りは過去の辛さから逃れられないのかもしれません。
Bさんはいじめられた過去を乗り越えたいと思っていることが分かったので、話せる範囲で過去のいじめの話を聞き、新しい思い出で上書きするために『暗黒地巡礼』を行いました。
傷ついた心は怪我をした時と一緒で、まだいじめの記憶が鮮明なときはじくじくと膿んで触れません。
けれども傷が治って来ると、触れても大丈夫。
むしろ、自ら触れてかさぶたを剥がしたい衝動に駆られたりします。
『暗黒地巡礼』は、そのかさぶたを剥がす行為でしょうか。
Bさんは以前まで自分が育った地元にはあまり帰っていませんでしたが、過去を受け入れた後はふらっと実家に帰ることが多くなりました。
嫌な思い出があった場所も、楽しい思い出に変わったことで、目をそらさなくて済むようになったのです。
けれどもそれは、嫌なことがあった場所で楽しいことをしたからではなく、Bさんが『過去を乗り越えたい』という気持ちを強く持っていたからなので、楽しい思い出での上書きは、単なるきっかけでしかありません。
自分を変えるにも、過去と決別するにも、強い意志が必要なのです。