親が子供を誉めるときに、必ずといっていいほど「いい子だね」と言います。
私も小さな子を誉める時につい言ってしまいますが、その何気ない言葉が呪いになりかねません。
なぜなら、自分の意思に反して「いい子」でいようと思わせてしまうからです。
今回、Twitterにマシュマロ経由でこんな質問をいただきました。
人から『いい人』だと思われたい気持ちは、ほとんどの人に備わっている感情だと思います。
おかしなことではありません。
ただ、その気持ちが強すぎて空回りしてしまうのは、上記のように本来は誉め言葉である「いい子だね」が、呪いになっているからかもしれません。
呪いは人を苦しめます。
人が喜ぶことをしているというのに、人のためにとすればするほど苦しいでしょう。
なぜなら、苦行を強いられているのに、誰も労ってくれないからです。
『みんなから好かれたい』
『いい人と思われたい』
という感情が強すぎると、『都合のいい人』にはなりますが、不思議と誰かの特別にはなりにくいとよく言います。
また、自分がしたいかどうかではなく、いい人と思われる行動を優先したり、人の顔色を伺ってしまってりするので、相手の都合や感情に振り回されて疲れてしまいます。
頑張って好かれようとしても自分の存在を軽んじられてしまうなら、無理をしてまで万人から好かれる必要はないのではないかと思うのです。
もしかしたら、過去にいじめられたことがあるせいで、素の自分をさらけ出すことが怖いのかもしれません。
そして、その時に相談した大人に庇ってもらえなかった経験から、自分が悪かったのだと自信をなくしてしまったのかもしれません。
でも、それはもう過去のことにして、自分が描く未来を作っていきたいですよね。
誰も見ていないのに毎日お掃除ができる力があるなら、もうすでにコツコツ真面目に取り組めて忍耐強いという立派な要素を持っているので、信用に足る人だと評価できます。
そういう人なら、きっと自分自身を変えることはできますから、一緒に未来を探しにいきましょう。