いじめの罪悪感

私は田舎にある、1学年1クラスしかないような小学校へ通っていました。

クラスには男女合わせて30人ほどしかいなく、その中でも女子は10人くらいしかいませんでした。

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昔の私は今よりももっと人見知りで、親の後ろに隠れて人に会うような子どもでした。

私は地元の保育園へは通わずに、親と少し遠い場所にある幼稚園へ通っていたので、小学校に入学した時に周りは既に友達同士だったので私はかなり浮いた存在でした。
(気持ちとしては転校生のような感じ)

ただ、私も同級生の幼馴染がいたのでその子とは話せていたし、登下校も割と問題なく過ごしていました。

けれど、ちょうど高学年にあがる頃だったかと思います。
仲の良かった同級生の幼馴染が転校をしてしまいました。
年齢がひとつ下の幼馴染もいましたが、彼女はひとつ下なので授業やクラスはもちろん別でした。

そのあたりから、いじめが行われるようになりました。

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いじめっ子のリーダーは、元々いじめはしていませんでした。
ただ、そのリーダーは子分的な存在の子をいつも引き連れているような子でした。

私は、気が強い子は苦手でしたが、下校の方向がいじめっ子グループと同じということもあり、その子たちの顔色をびくびくと伺いながら毎日帰っていたのを覚えています。

リーダーの顔色を伺い、取り巻きの子の顔色も伺い。
私自身が人見知りという事もありましたが、それだではなく「この人は怖い人だ」という意識が自分の中で勝手に出来上がっていたので、よりびくびくしていました。

ですが、『元々いじめっ子ではなかった』と書いたように、最初は『気の強い子たち』くらいだったんです。

実際に誰かをターゲットにするわけでもなく、単純に「は?何それ?」というような高圧的な態度を取ってくるくらいでした。

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だけど、気がついた時にはその子たちは「いじめっ子」になっていました。

リーダーに何が起きたのかは分かりません。

よくテレビなどで家庭環境に問題がある子はいじめを起こすなんて言っていますが、その子の家は至って普通。
むしろお母さんは良い人でした。

その子には兄弟姉妹もいましたが、関係も良好でした。

ただ、それは表向きの顔であって、家庭で何が起きているだとか、その子に何があったのかとかそういうところは憶測で考えるしかないので、「何かあったんだろうな」ということで留めておきたいと思います。

当時の私がそんな事を深く考えるほど相手を見ていたかと言えばそうではないし、当時はとにかくただただそのリーダーに怯えていました。

『いつ自分がいじめを受ける番になるのかな』

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まずターゲットになったのは、リーダーが気に入らないと思った子でした。

「あいつウザくない?」
その一言でいじめは起きていたんです。

ではなぜいじめた子のことを気に入らないと思ったのか?
それは誰にも分かりません。

「あいつウザくない?」
それだけです。

多分、
少し勉強が出来るからって調子に乗ってんじゃねえよ
ちょっとモテたからって良い気になってんじゃねえよ
そんなような理由でしかなかったと思います。

そしてやがて、そんな理由すらなく
あいつ小さいしいじめやすそうじゃない?

理由なんて後付けかのようにいじめが起きていたと思います。


ある日突然、クラスの女子全員から無視される。
休み時間に遊びに入れてもらえない。
コソコソと悪口言われているのが分かる。
物を隠される。

映画にあるようなトイレに閉じ込められて水を浴びせられる、なんていうような事はありませんでしたが、それでも精神的なダメージは大きかったです。

『いつ自分に矛先が向けられるのだろう』
そうやって毎日考えながら行く小学校は、本当に嫌な場所でした。

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いじめっ子リーダーの取り巻きの子は、大体3〜4人くらいいましたが

今週はAちゃん
次の週にはBちゃん
今度はCちゃん
気が付いたらDちゃんがいじめられている

リーダーグループ全員が順番にいじめられるという現象が起き始めました。

もちろん、主犯格はリーダー。
だからリーダー以外は全員いじめられていきました。

その中には、私のところへ来る子もいました。

Dちゃん「碧ちゃん、休み時間だから遊ぼう」
と、今までいじめをしていた事がなかったかのように来たりもしました。

私は、人間ってそんなにコロっと態度が変わるものなんだ…ってビックリして引いたのですが、その子を無下にする事はもちろん出来なくて一緒に過ごしたりしていました。

ただ、当然、そのDちゃんのいじめが終わればDちゃんはいじめっ子グループに戻るので、平気でまたこちらをいじめてきます。

人なんて信用できない
簡単に人を裏切るものだ
恩を仇で返すような生き物なんだ
助けてなんてくれない

そう言葉には表せなくても、心のどこかで感じていました。

とにかく、小学生時代は毎日が嫌で嫌で仕方なかったです。

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でも、ある時同級生の悲しそうな顔を見て、ふと思ったことがありました。

「私も同罪じゃないか?」

「誰かがいじめられていた時に自分は助けようとしたか?」

「見て見ぬふりなんて、いじめているのと一緒じゃないか?」

同級生がいじめに遭っていても何もしていなかったことで、自分と同じ気持ちになる人(同級生)がいるということなんて少し考えれば分かったことです。

でも自分も弱いから、結局自分をかばってしまうんだ、結局自分に甘いだけじゃないか。
そこに気がついた時は本当に自分が情けなくなりました。

そう思うと同時に、自分がいじめっ子と同じような人と思えてきました。

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たまにドラマや漫画などで[いじめられている子がいじめる側に回ってしまう、そして後悔をしてしまう]というシーンを見るとどうしても自分と重ねてしまうところがあります。

私は自ら加わったりはしていませんが、でも「なにもしない」といういじめへの加担をしていたのではないか

偽善者だった自分を改めて見ているような、そんな気がしてしまいます。


「またいじめられたらどうしよう」
という恐れから自分を守ってしまっていました。

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そんな私は中学生時代にもいじめを受けました。

そのいじめはクラス単位ではなく、グループ単位でしたが、小学生の頃と同じような感じで『グループ内でいつ誰がいじめのターゲットになるかは分からない』というのは変わりませんでした。

「ここでもまたいじめか…」
と思いましたが、中学生の時は少し変化がありました。

それは、
1人じゃなくなったこと(そして自分が見て見ぬ振りを少しやめられるようになったこと)
でした。

グループ内で無視されることはありましたが、でもリーダー以外はみんな裏で結束していました。
だから、一応リーダーがいる場では無視をして、裏ではごめんねと言うような間柄でした。

これって一見「本質はなにも変わってなくて、結局リーダーに物申しているわけじゃないからリーダーはなにも変わらないじゃないか」と思えるかもしれません。

けれど、いじめられていた私にとって、この出来事はとても大きな一歩でした。

みんないじめに対して悪いと思っているんだと安心した気持ち、優しい気持ちを持っている人もいるということ、自分は1人ではなかった

そこに気がつけたのは今後の人生に大きく影響する、ということを大人になってから感じました。
(人を疑ってばかりで信じられないままいたら、多分また新たな後悔が生まれていたのではないかなと思います)

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でも忘れてはいけないのは、過去に自分がしてしまったことです。

思い出すことは必要で、けれどそれは決してマイナスな意味合いではなく自分の心の教訓としてずっと残すべき出来事なのだと思っています。


過去に犯した罪の意識ってなかなか消えないものだと思うんです。

その意識が強ければ強いほどに、後悔の念も大きくなりますよね。

自分を責める時もきっと出てくると思います。

けれど、今そうやって自分を責めているということは、相手(出来事)に対して悪いと思っているということです。

もしかしたらその気持ちを相手に伝える術はないかもしれません。
単なる独りよがりになってしまうかもしれません。

けれど、自分の教訓を誰かに伝えることは出来ると思います。
そしてその事によって誰かが変わったり救われたりするかもしれません。

消化するという事も大事ですが、私は『昇華する』事が出来ればそれはまた自分にとっても誰かにとっても良い方に作用するのではないかなと思います。

時に自分を責め立てて苦しい気持ちになること
自分の弱さに目を覆いたくなること
相手の苦しみを自分にも与えようと思うこと
自分なんていなければよかったんだと考えてしまうこと

どうしてもマイナスに考えてしまうことはあるかもしれません。
けれど、そうやって苦しんでいるあなたは悪い人ではありません。

何か変わりたいと思ったりするから苦しいと思うんです。

今は前に進んでいないと思うかもしれないけれど、少しずつでも前には進めていると私は思います。

だから焦らずに、あなたらしく、少しずつ前を向いていってくださいね。

 

 

レンタル彼女PREMIUM/大森碧