表も裏もない、ぜんぶ私。

昔、ある人に言われたことがある。

あなたは人として振り幅がありすぎる、『こういう人』って定義できないから他人から評価されにくい

と。

たしかに、全てにおいて振り幅は大きいと思う。

堅っ苦しい文章を書くのにメールでは誤字のオンパレードだし、ブログで厳しげなことを書くのに君自身はすごく癒し系だねと言われたりもする。

熱しやすいのに冷めやすいし、プライドが高いのに寂しがりやの甘えたがり。

ちゃんとしてる風に見せてる割にはかなりズボラな性格だったりする。

多面的といえばよく聞こえるのかもしれないけど、こういう誰かからダイレクトに評価される身分としてはあまりよろしいことではないのかもしれない。

例えばかっこよくてスマートなイメージの天海祐希さんがロリータ服を着ていたらものすごく違和感を覚えるだろうし、

優等生アイドル(と勝手に呼んでる)嵐のメンバーがとてつもなく極悪非道な振る舞いをしたらイメージは地の底に落ちると思う。

これは極端だとしても、まあ、たしかにその通りだと思う。

多面的な人間はわかりづらいものである。

イメージ通りのパーソナリティで居られることはある意味、才能だと思う。

私はこれがとにかく苦手。

 

 

けど、最近思うのは普段とは違う顔を見せられるのは単純に嬉しいことなのではないか、ということ。

普段厳しい人の少し弱った姿を見るとどうしても守ってあげたくなってしまうだろうし

普段冷静な人の熱中した姿を見るととても嬉しくなってしまうと思うし

普段ストイックな人のゆるゆるな姿を見たらきっとどうしようもなく愛おしくなる。

 

 

 

話は飛ぶけど我が家のシャワーヘッドは当初ものすごく水が広域に広がるタイプのものだった。

前述した通りとてもとてもズボラな人間なので住み始めてからこのかた2年、めちゃくちゃ不便だなと感じながらもそのまま生活していたりして。

そしたらある日うちに泊まりに来た友達がシャワーをつかって

 

琴ちゃん、このシャワーヤバイよ。

全然体にお湯来ないもん

これ2年も使ってたの?

 

 

 

と真顔で聞いてきた。

 

うん、なんかごめん

と我が家に泊まりにきてくれた友人にとっておもてなしすべき立場なのになんたる失敗と猛反省していたところ

なんと次の日、朝イチで近所のホームセンターに行きシャワーヘッドを購入、取り替えてから我が家を後にしたのである。

体にお湯が当たるというある意味当たり前のことを2年ぶりに体験した私にとって、それと同じくらいの感動が友人に言われた言葉である。

 

 

琴ちゃんってちゃんとしてそうなのにこういうズボラなところかわいいよね、

もっと外でもそうしたらいいのに

 

 

かわいいのか?

ズボラなことが??

とものすごく驚いた。

 

私にとっては大人失格だなと思うようなことが人から見たらむしろそこがいいと言われるという、なんとも新鮮な体験だった。

ちなみに我が家の二大欠陥のうちのひとつ、シャワー問題が解決したけど残るもうひとつ、扉がひん曲がって閉まらない問題はまだ解決していなかったりする。

 

そんな、人に絶対知られたくないような短所でも、さらけ出して見ると意外とそこが好きだと言ってくれる人がいるものである。ということをこの頃しみじみと感じています。

だからこそ、私は画一的にはなれないし、多面的な人間として伝えられることを伝えていけばいいのではないかな、と。

自分の多面性を許せるということは他人の多面性を受け入れられるということ。

みなさまにとって誰にも知られたくない姿、私に見せてくれたらとても嬉しい、かもしれないです。

 

 

 

 

宮地琴乃