フってもフラれても愛情であることに変わりはないわけで。

 

こんばんは

宮地琴乃です。

 

今日は恋愛に関するお話をひとつ。

 

 

みなさま、誰かにフラれたことありますか?

誰かをフったことはありますか?

私は両方あります。

人間というのは不思議なもので、フってもフラれても寂しさといいますか、心に穴のようなものが空くものだと思うんです。

フラれたならまだしも、フっておいてそんな喪失感に見舞われるなんて身勝手もいいところですよね。

昔恋人からフラれた友人が、こんなことを言っていました。

フラれた人間は愛する人を失った

しかしフった人間は愛してくれる人を失った

その時は、へえそうなのか、くらいに思いましたがなぜかあまりしっくり来ず。

それでもまあフったフラれたをひと通り経験するとなんとなく、友人の言いたかったこともわかるような気がしました。

それでもなお自分の中でしっくりくる言葉ではなかったのですが。

しかし先日、敬愛する作家さんの作品を拝読したところこんな言葉がありました。

『フられた方は「情けない」という思いから、愛情から情が抜け落ち、愛だけが残る

フった方は、「これ以上愛せない」という思いから愛情から愛が抜け落ち、情だけが残る。』

これを見たときにああなるほど、ととても納得しました。

ふられた方には、まあ程度の差こそあれ愛は残りますよね。

タイミング的にどちらが切り出すかの違いだけの場合もありますが、往々にしてフった方よりフラれた方が愛は大きいのではないでしょうか。

加えて、どんなにこっぴどくふられたとしても、好きだった、という気持ちや幸せになってほしいという気持ちがあるのなら、それは愛ではないでしょうか。

ふられた逆恨みをするにしても、根底には「自分は相手を幸せにできるのに」という相手の幸せを思う気持ちがあるのではないかなと思うのです。甘っちょろい考えかもしれませんが。

一方、フったはずの人がいつまでもフった相手に執着するなんて奇妙な話がおこるのもこれなら納得できます。

少なからず自分のことを好いてくれていたぶん、ないしはいっときは愛し合った分、情があるということでしょうか。

情というのは感情ですからね、プラスな感情かもしれませんし、マイナスな感情かもしれません。

けど、フった相手にかわいそうなことをしたと思うか、だいきらいという感情を抱いているのならそれは情があると言えるのではないでしょうか。

そう考えてみればフってもフラれても愛情という言葉のかけらをお互い持ち合わせているわけです。

元は一つの言葉ですが二つに分かれて仕舞えば愛と情は全くの別物、

だからその2人は永遠に分かり合えないのかもしれないし、再び一つになったとき、より強固な愛情を育てるものなのかもしれません。

 

 

 

宮地琴乃でした。